側の器347

広島は福山の芦田川、川中の埋め立て、川づくりを眺めていたら、私達が行う川づくりと、水の流れがなんとなくズレて見えた。

水というのは、流れていると思わせてそうではなく、土へと浸潤し続けていて、入り込めずに溢れた分子らがまた入りこもうと道を急いでいる。単純にそのように思えた。
染み込みたい、浸潤したいという感覚は、コロコロコロコロという水音にもあらわれているようだった。

はっきり聞こえた気がする。