次回展示予定

 

個展

2017.6  tokyo

 

グループ展

2017.6 tokyo

 

側の器390

今日はうらわ美術館にて、たくさんの針と糸と人の手の動きを眺めたので影響を受けました。

側の器
人に見せるためではなく自身の問いのために描いていたものが、少数の他者の目を意識するようになり、続けていくうちにそれもばれてすり減ってゆく。見せるという事はそういう事なのかもしれません。単純な要素で構成されているからこそ、暴露(バレ)るわけです。

では見せなければ良いのか。

そうかもしれません。秘めておく方が良い場合もあります。

ではわたしの『側の器』の場合はどうでしょうか。
すり減り続ける事で、バレ続けることで何か見えてきはしないだろうかと考えています。