側の器477

生気というものに満ち満ちてきている。わたしは五月の時期が震えるほど好きだと感じるのだけど、それは山々がなんともいえない熱気になんだかもう湧きかえっているからだと思う。

 

先日、春雷に追い立てられて車で米沢盆地を南下している時、ふと、一本の桜を眺める老婆の後姿を見つけた。生気とはなんと美しいことかと思う反面、逝きつつある人から失われる生の光の静けさも感じる。米沢では春になると、吾妻山の雪渓に白馬の騎士が現れる。今年はそれがなぜかとても輝いて見える。